粥村で聞いた話

鳥を見たり見なかったり食べちゃったり

レプリカたちの夜

本屋で(さて、何を買おうか)とブクログアプリを立ち上げ、「読みたい」に入れてある本を何冊か探す。新刊を「読みたい」に指定することが少ないせいもあるのだが、目当ての本が本屋で見つかることは結構少ない。
そんな中、このレプリカたちの夜を見つけた。
はて、ワタクシはなぜこの本を読みたかったのか……。
その疑問は手にしたと同時に氷解する。

f:id:aiwendil:20190626111810j:plain

レプリカたちの夜

そうか、伊坂が激賞していた本か。ならば読まずにおられようか。

 

以下、解説でもあらすじでも無く、私的な読書メモです。普通の本の時よりもハチャメチャなことを書いているのは、この本がそういう本だからであり、ワタクシの気がふれてしまったわけではないと、本人は思っています。ネタバレも含みます

 

「朝食までには帰る」と言い残して品質管理部の部長がいなくなった、というところから始まる物語だが、読み進めるにつれて部長なんて本当に存在したのか、主人公の往本にも自信が無くなる。
かわって新しい部長としてシロクマが現れるわけだが、シロクマは既に絶滅していたり新たに別の特性を持って蘇っていたり、最後の3頭だかが残っていたりと、人や場面によって違う解釈が存在する。
資材部の女子、うみみずがシロクマに殺されたり、往本が人工生命体と名乗る美少女に銃殺されたりしても、またリブートされたように生きている状態に戻ったりする。
粒山(被毛部所属でありながら頭が薄い男。往本の同期)の妻と自称する妖怪のような女が現れて、ほぼ神の類いであることを見せつけてどこかへ飛び去る。ちなみに粒山は妻などいないと断言する。

普通に考えて不合理であることが冒頭から終始一貫して繰り広げられるのだが、いつの間にか読者であるワタクシもそれを受け容れられる気分になっていたりする。これが読書の醍醐味というものかもしれない、などと思う。

往本以外が狂人なのかと思ったり、いな、実は往本こそが狂人なのではないか。
そうではなくてパラレルワールドなのかもしれない。
いやいや、そもそも往本なんて存在しないのではないか。
いやいやいやいや、これは神話なのではないか。

などと読みながらこちらの想像の振れ幅がすごい。そして人によってこの世はこんなにも不確定であり、それを端的に誇張しているだけであって、実は世の中とは本質的にこういうものでは無いか、と思わされる。


関係ない話だが、古くからのネットの友人がかつて、
「シャワートイレを浴びる時って、まんべんなく周辺に当たるように腰を浮かしてくねらせるよね? 俺はその時に両手を挙げてバンザイのようなポーズでするんだ」
と言っていたことを最近思い出して、自宅のトイレでちょっとやってみた。
その時のポーズが“ぷりんぷりん音頭”そのもののような気がして、トイレで人知れず溶けてしまう恐怖に襲われた。
ぷりんぷりん音頭は危険だから避けた方がいい。


解説でふたたび巨匠とマルガリータを推された。いつか読まなきゃならん……ねぇ?