思い立って、ある人のお墓に行ってみた。お葬式の時以来、数年ぶりだ。
何を思い立ったかというと、おそらく誰も行かないだろうから、寂しがっているんじゃ無かろうかと。誰も行かないというのは、故人がさっぱりとした性格のかたで、
「死んじゃったら来てもらっても何にもならないじゃない? 来なくていいわよ」
と必ず言うタイプの人だったから。
その合理的で協調性のない考え方は、昭和一桁にしてはちょっと珍しいタイプで、ワタクシとしては強い親近感を持っていた。
ならば行かなくてもいい、とは思うのだが、実はこの人のお葬式に使われた遺影が、ワタクシが撮った写真だったのだ。自分が撮った写真が遺影として使われる、というのは初めての経験だった。
「あの写真、遺影に使わせてよ」
そう人づてに頼まれて快諾したが、そのひと月後にはもう帰らぬ人となってしまった。
自分の祖父母の墓参りもしない不届き者だが、血も繋がらぬ故人から、何かを受け継いでいるような気がしている。