粥村で聞いた話

鳥を見たり見なかったり食べちゃったり

福田村事件

便宜上、映画名をタイトルにしていますが、中身はむしろトークショーを聞いて思ったこと、です。悪しからず。

昨日の記事でパルコのカフェに入った理由は、そのあとで同じパルコの中にあるUPLINK吉祥寺で映画『福田村事件』を観るためでした。

映画の内容は消化し切れていないため、あまり書けません。というか、映画のあとはいつもそう書いてしまっている気がします。同様に、読書の後も。

これに関して、トークショー内のお話で、私にとって大きな転換点となりそうな言葉がありました。トークショー、配信されていると聞いたんですが、どこかで今も見られるんですかね? 見られるなら何度も見返したい、そう感じるような中身の濃い、そして面白い、ためになるお話でした。

映画の筋や肝は検索してもらえれば分かるとおり、基本は100年前の日本で実際に起こった事件です。100年前と言えば関東大震災。その後起きた朝鮮人被差別部落民、加えてプロレタリア作家や社会主義共産主義者が虐殺された、という現実に基づいた惨劇を描いています。

ナショナリズムも入り込んでいますが、それ以上に群集心理の恐ろしさ・危険性が焦点と言えるでしょう。つまり、現代にも起こり得る危機です。

トークショーのはじまりはじまり

映画の後はプロデューサーを手がけた井上淳一さんをMCとして、企画の荒井晴彦さん、そして佐伯俊道さん、いずれも脚本を手がけたお三方のトークショーでした。

ここにはいない森監督に対して3人でダメ出しをする、というオトナゲない楽しいお話を軸に、メディアに対する不満、小池都知事や松野官房長官の無かったことにする態度を糾弾し、大盛り上がり。

「大丈夫ですか? そんなこと言っちゃって」

「この映画を見に来る人はリベラルだろうから、大丈夫だよ」

「分からないですよ、右寄りの人が紛れ込んでいて、あとで攻撃されるかも」

みたいな会話があって、なんだか自分も組合員だった時代を思い出してちょっと楽しくなりました。

左から井上淳一さん、荒井晴彦さん、佐伯俊道さん

そんな中で、前述の私の心に刺さった言葉とは、こんな感じでした。(正確では無いです)

「最近のお客さんは、映画を観て制作側が言いたかったことは何だろう、何だろうときちんと理解したがる傾向が強い。分かりたい症候群とでも言えばいいかな。」

「そうそう。それが分かるから制作側にも、分かってもらいたがる気持ちが出てきちゃう。分かってもらいたい症候群、かな。そうなると説明的な表現が増えてしまう。」

この話が私の胸に、グサグサグサッと刺さりました。

思い当たること、有りまくりです。

映画だけではないんです。読書していても細かい伏線を見つけておきたい、と言うような気持ちが強く、何とかして作者の狙いを事前に知りたい、などと余計なメモをとりながら読んだり、途中で気になることを思い出して後戻りして読み返したり。

結果、読書が全然進みません。

その程度ならいいのですが、作者の言いたいことが全然分からなかった、となると、こんな作品読むだけ時間の無駄、とか考えかねない。

なにやってんすかね。

伏線なんか気にせず読み進めて、

「ああああ、またやられたよ、そういうことだったのか!」

って思えばいいじゃないですかね。

 

というわけで、映画にしても小説にしても、ちゃんと理解しよう、と考えすぎるのをやめることにしました。もっともそもそも出来ないんですけどね。

もっと漠然と見て読んで、ほんの一部の気に入ったところを見つけるだけでもいいんですよね。作者から

「そこぉ~?」

と思われたとしても。実際、クリエイターたちは観客・読者にそこまで期待していないでしょうし。

これも思えば、作者が言いたいことを全員に理解させようとする、正解はひとつだと勘違いしている、私たちの時代の小中学校国語教育の失敗、なのかもしれませんね。

と人のせいにしてみる (^m^;

 

ちなみにこの映画のパンフレット、分厚いです。それもそのはず、脚本が載っているんです。すごいです。お得です。

最後には、そのパンフにお三方のサインをいただき、満足して帰りました。

トークショー後のサイン会

 

余談ですが、今年見た映画はたったの3本ですが、全てトークショー付きです。トークショー、お得ですよ。アナタも、是非。